ぶらり教会散歩

人の子は苦しみを受けます

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早いものでもう四月、月の初めの主日礼拝に行ってきました。今日の聖書の箇所は、マタイの福音書17章9節~13節、説教題は「人の子は苦しみを受けます」でした。今日、4月2日はとても素晴らしい日です。なぜ素晴らしいかと言うと、それは今日という日が、今日一日しかないからです。聖書には天の御言葉が書かれています。日々の生活に役立つ素晴しいことがいっぱい書かれていますが、一人で聖書を読んで理解しようと思っても、なかなか理解できないのが現実です。「主われを愛す」という讃美歌がありますが、主、神様が先に私たちを愛して下さいました。私たちは人を憎む事があります。憎んでいると自覚している人は少ないと思いますが、わたしたちが心で、相手に腹が立つ、相手に謝らせたい、相手に仕返ししたいetc.。このようなことを日常考えることも、人を憎んでいると言われるのではないでしょうか。神様は私たち(人)を愛して下さっていました。その神様が愛する人を私たちが憎むということは、神の一人子、イエス・キリストをも憎むという事なのです。山の上においてイエスの御姿が変わったという不思議な話があります。それを目撃したのは、弟子のペトロとヤコブとヨハネの三人でした。それは限られた人々だけに与えられた特殊な神秘体験と言えるでしょう。彼らが目撃したのは単にイエスの姿が変わったことだけではなく、イエスがモーセとエリヤと共に立っている光景でした。モーセは律法を代表する人物で、エリヤは預言者を代表する人物です。この二人は旧約聖書の代表選手とも言えるでしょう。すなわち、イエスと共に旧約聖書があり。イエスに起こる出来事も旧約聖書と無関係ではないということです。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話しあっていました。彼らが見た光景は、その後の彼らの信仰にとって(私たちにとっても)とても重要な役割だったのです。それは、「あなたはメシア(イエスのこと)、生ける神の子です」と言ってついて行った彼らが、やがてそのメシア(イエス)が苦難を受け、やがてボロボロになって十字架に釘付けされるのを目撃することになるからです。山を下りるとき、イエスは「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられました。イエスの十字架の死は、不幸にして殺されたのではなく、起こるべきこととして旧約聖書に既に語られていたことで、すべて神の御心によって起こったことなのです。ならば十字架の死は悲惨な死では終わらないはず、これが神の御計画ならばその先があるはず、そして、その先を聖書は私たちに示してくれました。それがキリストの復活です。そのようにして、三人の弟子たちが山の上における神秘的な体験の中で目にしたのが、やがて起こるキリストの出来事、命に輝くキリストの復活の御姿だったのです。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒(ひとつぶ)の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」ヨハネによる福音書12:24
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